忍び寄る再建作業と夫の死

2011.11.18

霞が関と千里は見えないけれど、強靭な糸でつながっている。桃山台第二団地は騒然としてきた。いざとなれば八割を押さえて、再建作業をスタートできる。客観的要件という目の上のコブはなくなった。コスモスの社員は、住民を前に「等価交換」で団地の戸数を倍にして新住戸を販売すれば、そのおカネを再建費に充てられる、みなさんは、元と同じ広さの新築にタダで入れる、と声を張り上げる。ただし、そのためには販売用の新住戸を「完売」しなくてはならない。

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計画の背骨は、増やした住戸を売ることだ。利益あっての再建である。「少子化で人が減っているのに、ほんとうに売れるのか」と問われた社員は、「絶対に売ってみせる」と胸を叩いた。そんな団地の喧騒をよそに、Sさんは、哀しみにくれていた。最愛の夫、Aさんが定年退職して間もなく、黄泉へと旅立ったのだ。これからゆっくり夫婦旅行でも、と相談していた矢先に他界してしまった。ともに歩んだ三五年の歳月が、走馬灯のように脳裏を駆けめぐる。Aさんは、過酷な戦争体験をひきずっていた。一五歳の夏、軍医だった兄の部隊が広州で全滅したと知らされ、お骨を納める一升瓶を持って現地へ向かった。原爆投下直後の広島の惨状を目の当たりにする。体にガラスが刺さった子どもが悶えながら息絶えていく。そのトラウマが、Aさんは生涯消えなかった。戦争で、家族は散り散りになった。Sさんが夫との思い出を語る。「夫は、掃除、洗濯、お茶碗洗いをさせたら右に出る者はいない、優秀なハウスキーパー、主夫でした。三〇年以上も前、仕事と子育てを両立するのは苦労しましたか、夫は家庭を愛してくれました。いいよ、いいよ、僕がやるよ、とバルコニーに出て洗濯物を干してくれました。あの時代、一家の主が洗濯物を干すなんて、珍しくてね。お陰で、わたしは近所で悪妻の評判を高めました。ヘヘヘ。でも、夫をアゴで使うようなカカア天下じゃありません。夫は多感な時代に原爆や、戦争での家族の離反、確執を嫌というほど味わったんです。家族に対して、いいようのないプレッシャーを感じていました。だから自分が家庭を持てたのが、とても嬉しかったんです。他のどこでもない、この団地で家族は成長しました。人にとって、ここはかけがえのないマイホームであり、魂のふるさとです」コスモスは、事業化にむけて戦術をしぼりこむ。





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