今前衛活花が非常に流行しているようです。これがまず最初世に出て来たのは、今までの生花の約束をうちやぶって、自由な精神で、しかも庭の片すみに咲いているような雑草や、川辺にころがっている枯木、道端の石ころ等金のかからない材料ででも美しさを作り出すことが出来るのだということが、多くの大衆に何かをうったえたからです。けれどそれが時代的にクローズアツプされて行くうちに、遊びの面がかなり大きく出て来ているのではないでしょうか。
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先日私は湘南のある町で活花の展覧会のデスプレーをたのまれました。そこで、活花をたのしんでいる奥さん方に美の追求よりもむしろちょっとゼイタクな遊びを感じて、一まつの淋しさと前衛活花の将来に対する不安をかきたてられました。しかし、この活花にしても再び本来のものにかえって、大衆のものとなった時にもっと大きな発展があると思えます。それと全く同じように、住居が本当に大衆のものになり、材料、工事その他あらゆる点で合理化され、新しい建築美が作られて行った時に、美しさとはゼイタクを意味するものでは無いという理論が正しく証明されるはずです。夏の太陽にさんさんとてりつけられた海岸における、はちきれそうな健康体の海女の水にぬれた姿に、ミロ島のヴィナスを発見するのです。そして、そのような本質的な美しさを持った住居こそ、今日の住居なのです。